秘密の華園
カミングアウト しませんか? すっきりしますよ、きっと。 気ままに 気の向くままに 書き込んでます。
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同棲時代
同棲時代 という映画がありましたが
私たちも 同棲時代を経験してます。 私たちというのは
そのまま 今の夫婦になってるので 私たちということです。
さかのぼること 26年前 東京は世田谷の砧(きぬた)
というところに ワイフとワイフの姉が同居してたのですが
ゴールデンウイークのころに (確か 天皇誕生日 だったと記憶してます)軽のワゴンレンタカーに会社の寮(川崎市の多摩区・山手の、田舎 まだ 住宅建設が 始まったころ)からちょっとの荷物を積んで、引越し というより転がり込んだのが
始まりでした。ワイフはまだ 専門学校の学生 姉は 大学生
私は 社会人 もちろん 姉は すぐに 別の部屋を探して借りましたが、私が 追い出したもおんなじです。
夏休みは 二人とも鹿児島に帰ってましたので 社会人の自分は、さびしかったですね。 自分で 食事を準備したりしましたが、カレーなんて たくさん作りすぎて 何日も食べ、それでも
食べきれずに だめにしたり。風呂が付いてないアパートだったので 仕事が残業で 遅くなると入れなかったり、
子供たちが 同棲を始めるといえば だめとはいえないし
だめとも 言わないでしょうね。 ただお互いを 大切に 大事に 思いなさいと 言ってあげたいですね。
「ちょっと した 青春時代が そこには あった。」
ふと そんなことを感じたので 書いてみました。
私たちも 同棲時代を経験してます。 私たちというのは
そのまま 今の夫婦になってるので 私たちということです。
さかのぼること 26年前 東京は世田谷の砧(きぬた)
というところに ワイフとワイフの姉が同居してたのですが
ゴールデンウイークのころに (確か 天皇誕生日 だったと記憶してます)軽のワゴンレンタカーに会社の寮(川崎市の多摩区・山手の、田舎 まだ 住宅建設が 始まったころ)からちょっとの荷物を積んで、引越し というより転がり込んだのが
始まりでした。ワイフはまだ 専門学校の学生 姉は 大学生
私は 社会人 もちろん 姉は すぐに 別の部屋を探して借りましたが、私が 追い出したもおんなじです。
夏休みは 二人とも鹿児島に帰ってましたので 社会人の自分は、さびしかったですね。 自分で 食事を準備したりしましたが、カレーなんて たくさん作りすぎて 何日も食べ、それでも
食べきれずに だめにしたり。風呂が付いてないアパートだったので 仕事が残業で 遅くなると入れなかったり、
子供たちが 同棲を始めるといえば だめとはいえないし
だめとも 言わないでしょうね。 ただお互いを 大切に 大事に 思いなさいと 言ってあげたいですね。
「ちょっと した 青春時代が そこには あった。」
ふと そんなことを感じたので 書いてみました。
Comments
すんでたところは・・
小田急百合丘です。 駅を おりて 山手のほうへ とぼとぼと 大根畑の中を 歩いて寮へ帰ったものです。 でも 週末は ほとんど ワイフのアパートへ出かけてましたけど。。
通勤は 登戸でなんぶ線に乗り換え、川崎で降りて 京浜東北線で 鶴見まで そこが 会社でした。 千代田化工建設です。
同棲時代は 小田急祖師谷大蔵でしたので そこから のぼりと経由で 後は おんなじです。16年前だと 私は かじきに 帰ってきてますので、ちょうど 次男が生まれて一歳になるころでしょうね。
「懐かしや かの日々よ わが過ぎ去りし
青春の思ひ出が、そこにある。
その思いを胸に前にすすまん。人生をあゆまん。ともに来たりし 我妻と
ありがとう ありがとう」
なんて センチなフレーズを 並べてみました。 ふと 浮かんだものですから。
通勤は 登戸でなんぶ線に乗り換え、川崎で降りて 京浜東北線で 鶴見まで そこが 会社でした。 千代田化工建設です。
同棲時代は 小田急祖師谷大蔵でしたので そこから のぼりと経由で 後は おんなじです。16年前だと 私は かじきに 帰ってきてますので、ちょうど 次男が生まれて一歳になるころでしょうね。
「懐かしや かの日々よ わが過ぎ去りし
青春の思ひ出が、そこにある。
その思いを胸に前にすすまん。人生をあゆまん。ともに来たりし 我妻と
ありがとう ありがとう」
なんて センチなフレーズを 並べてみました。 ふと 浮かんだものですから。
なんか懐かしい地名がいっぱい出てきました^^
砧にも、百合丘にも友達が住んでいたので^^
委員長さま・・ほんとセンチなフレーズ(*^^*)あ→は、そこの場所に青春を一つ置いてきたんで、一緒に振り返る人は居ないのですが、あの時があったからこそ、今の自分があるんだよなぁなんて・・思いました^^
砧にも、百合丘にも友達が住んでいたので^^
委員長さま・・ほんとセンチなフレーズ(*^^*)あ→は、そこの場所に青春を一つ置いてきたんで、一緒に振り返る人は居ないのですが、あの時があったからこそ、今の自分があるんだよなぁなんて・・思いました^^
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川崎市多摩区住んでましたよ^^
会社(美容室)が宿ヶ原というとトコにあって寮に居ましたがすぐアパートを借りました。
16年程前の話です。当時で家賃は3万円・・南武線の線路沿いで、お風呂も電話も洗濯機もない極貧生活でした。それでも親には全然頼らずにいたのですが、『電話がないと、心配だから』と、加入権代を送金してくれたのを思い出します。
登戸にも住んでました。
委員長さまは、どこら辺だったんでしょう?